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Your search : [ author:写真 王陽 暁華 殿文 衛東] Total 3407 Search Results,Processed in 0.113 second(s)
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1. オロチョン族の今のくらし
オロチョン族は世界的に注目されている民族のひとつだ。皮の服を着て肉を食べ、山林で狩りをする生活は昔から変わらない。勇敢でたくましく、苦労をいとわずよく働くことで知られている。生活する場所は、中ソ国境近くの大·小興安嶺。人口は5000人に満たず、“中国少数民族の中の少数民族”と言われている。人口は少ないが、歴史は長く、1500年前の南北朝時代の室韋部落人の末裔。30年前まで世間から隔絶された原始生活
Author: 写真 王陽 暁華 殿文 衛東 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
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2. “バード·ウィーク” 北京の大学生が街頭でキャンペーン
四月一日から一週間は“バード·ウィーク”写真は北京師範学院生物学部の学生·教師。約五十名が20余種の鳥の標本、鳥類図鑑など鳥に関する書籍を持って“北京の銀座”·王府井へと繰り出した。“バード·ウィーク”活動の一環として、往来の人たちに鳥類保護の目的を知ってもらうため。個別質問も受けつけた。時間はわずか六時間。が、書籍を買った人は一万人、四千人が鳥類など野生動物保護のために寄付してくれた。活動はまず
Author: 写真 成衛東 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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3. いまは亡きパンチェンラマ最後の姿
パンチェン·オルドニ·チュキ·ギェルツェン大師は、今年一月二十八日夜、チベットのシガズェ市で急逝した。全国人民代表大会常務委員会副委員長、中国仏教協会名誉会長、チベット自治区の宗教指導者であった。一月九日、パンチェン大師は北京からラサに赴いた。このチベット行は、パンチェン大師の一大心願である、第五世~九世パンチェン·ラマの遺体合葬の霊塔の開眼式典を主宰するためであった。この霊塔は、「文化大革命」で
Author: 写真 成衛東 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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4. 海を渡ったヤオ族の子孫 アメリカからルーツを求めて
人はだれも、いったい自分はどこから来たか、自分の祖先はどこまでさかのぼれるのか、知りたいと思うときがあるだろう、かつて「ルーツ」というアメリカ映画が大きな話題になったこともあるように。昨年の初冬、趙富明さんを団長にアメリカ·ヤオ(瑶)人協会代表団一行が中国を訪問した。ヤオ人のルーツを求めて、雲南の勐臘、広西の金秀、広東の連南のヤオ族地区めぐりをしたのである。ヤオ族の先人は、秦·漢時代に長沙にいた「
Author: 写真 成衛東 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
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5. 円仁法師ゆかりの赤山法華院山東半島最東端の石島鎮に再建
山東半島の最東端、栄成市石島鎮に、このほど、赤山法華院が落成、黄海を臨む赤山山下の村に、読経の声がひびきわたった(写真)。赤山は、平安時代の高僧·円仁ゆかりの地。紀元八三九年、円仁の乗った遣唐船は、海上で台風に見舞われ、ここ赤山の石島湾に漂着した。円仁一行を出迎えたのが赤山法華院の僧たち。円仁は、法華院に数カ月間逗留し翌八四〇年、五台山へと旅立っている。法華院は、唐の永貞·元和年間(八〇五~八二〇
Author: 写真 成衛東 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
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6. 中国最大の露天掘り炭鉱 内蒙古ジュンガルの開発に着手
黄土高原の地下に眠る大炭田。いま、新中国成立後最大規模の炭田開発が、内蒙古自治区イフジュ盟ジュンガル旗東部の黄土高原上ですすめられている。埋蔵量は二七二億トン。南北六五キロ、東西平均二一キロにわたる広大な地域だ。ジュンガル炭田と名付けられたこの大炭田の開発は、中国のエネルギー基地が東から西へと移りつつあることを示すと同時に、エネルギー不足に悩む華北·東北にとっては重要な役割をはたすことに。今世紀末
Author: 写真 成衛東 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
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7. ペキン·オペラに新旋風。ハワイ大学京劇団の快挙に拍手!
お見落としなきよう、とくと二枚の写真をご覧いただきたい。京劇といえば、中華民族の伝統舞台劇。中国にいらしたほどの外国人ならきっと、夜のひと時を京劇の鑑賞にあてたはず。ところが、演じるは外国人、舞台の脇で、あのムズかしい各種民族楽器を奏でるのも外国人、そして観衆は中国人、という史上空前の「京劇公演」がとりおこなわれたのである。「アメリカ·ハワイ大学演劇学部京劇団、北京公演」くまどりは施しても、そこは
Author: 写真 張暁華 Year 1986 Issue 11 PDF HTML
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8. リースー族の里、維西県
梅里雪山を後に、私達は瀾滄江に沿って南にむかう予定にしていた。ところが、道路が山崩れで不通との情報が入り、徳欽県から中甸経由で維西県へと、ルートを変更することにした。維西県は、北は徳欽県に接し、東は中甸と川をはさんで向かいあう。全国唯一のリースー(傈僳)族の自治県だ。この地にはリースー族のほか、ナーシー(納西)族、チベット族も暮らしている。交通が不便なため、大部分の土地は今に至るまで外界との往来が
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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9. 白水台―ナーシー族の白き聖地
中甸の東南百十キロにある三坎は、迪慶チベット族自治州の中で唯一認められた「ナーシー(納西)族自治郷」だ。ここにはナーシー族の東巴(トンバ)教の聖地で、壮大な石灰岩段丘として名高い「白水台」がある。「白水台」の海抜は二千三百八十メートル。大昔の石灰質堆積物が雨水の浸食作用を受け、気の遠くなるような時間を経て変化した、神秘的な風景が目の前に広がる。「白水台」の面積は約三平方キロ。ナーシー族はここを「シ
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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10. 高原の輝く真珠「碧塔海」とラマ教寺院
迪慶(てきけい)高原に点在する湖や沼には「海」と呼ばれているものが多い。高地の水源が人々にとってどれほど貴重なものか、「海」という呼び名からもうかがえるようだ。中甸(ちゅうでん)県の県城(県の行政の中心地)から東へ二十五キロにある湖「碧塔海」もその一つ。昔から「高原の真珠」と呼ばれ、周囲に原生林が広がる自然保護区となっている。私達が原生林地帯に着き、丸木橋を渡ると、馬を連れた十数人のチベット族が待
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 8 PDF HTML